2014年09月07日 14:49

ホークス 秋山選手・工藤投手

西鉄ライオンズの終焉時のチーム名はクラウンライター・ライオンズで監督は根本陸夫氏でした。1978年に売却され福岡から所沢へ移転し、西武ライオンズが誕生しましたが、堤オーナーは根本氏のチームづくり・運営への能力や手腕を評価し、監督をそのまま継続させました。根本氏は1981年シーズンオフに監督を退任しフロント入りしてチームづくり・運営へ当たります。1982年から広岡達朗監督、1986年から森祇晶監督へ、西武ライオンズは黄金時代を築いていきました。

不振のホークスを強いチームへ。1992年オフ、ホークス中内オーナーは西武フロントの根本陸夫氏を監督に招請します。根本氏は負け癖のついたホークス選手の意識改革へ、西武ライオンズの選手を積極的にトレードによる獲得をはかります。1992年オフ秋山幸二選手、1994年オフ工藤公康投手など、常勝軍団西武の意識注入へ、西武の主力選手が次々と入団してきました。これはライオンズファンの多かった福岡のファンにとっても嬉しいことでしたが、同時に黄金期を支えた選手の流出は常勝西武の解体となっていきました。そして1999年のダイエーホークス初優勝へとつながっていきます。

秋山選手・工藤投手は1999年5月に描いたものです。2014年現在、秋山選手はソフトバンクホークスの監督、工藤投手は長い現役生活を経て、野球解説者として活躍しています。

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佐藤栄作

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